3月 2010 のアーカイブ




『夜』

『夜』(エリ・ヴィーゼル著、村上光彦訳、みすず書房)読了。多感な年齢でナチ収容所に送られた著者によるこの手記は神への信頼をも打ち砕くほどの人間の残忍性を暴いている。これを読むとフランクルの『夜と霧』のポジティブさが異様にかんじられるくらい。「なぜ、おれたちをすぐに銃殺しないんだろうか。」(p.169)という呻きが重くのしかかる。なぜ、“絶滅させる”という目的がありながら、執拗なまでに地獄を生き延びさせたのか。この点は、絶滅収容所に関する書籍を読むたびに浮かびあがる疑問。

それにしても毎回思うのは、ナチスドイツを生き延びたユダヤ人たちの雄弁さ。日本も同じ時代に戦争をして、残虐の極みを実行した。これに巻き込まれた人びと(加害側も被害側も)の語りが目につかないのはなぜなのか(戦後生まれの作家によるノンフィクションならばいくつかある)。これはわたしの視点の持ち方がずれていて、それでわたしが“期待している”ような作品に出会わないのか。それともそもそもそんな作品がないからなのか。そうだとすれば、やはり戦後の戦争責任の総括のしかたの違いというところに話がいくのだろうか。んー、もう少しアンテナの張り方を考えたほうがいいってことかな。

Add a comment 2010/03/20

『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ』

清水康之・上田紀行著。
日本はいつから、どのようにして1日約100人の自殺者を生み出す社会になってしまったのか。自殺予防の具体的な取組の提言を含んだ対談集。巻末に相談先リストを付した点も評価したい。
隔週誌のビッグイシューで組んだ対談がもとになっているようなのだが、ビッグイシューがオリジナルで出版するのは難しかったのだろうか。一般書の出版は、ビッグイシューの知名度を高めるチャンスになると思うのだが。資金面など簡単なハナシではないのだろうな。

Add a comment 2010/03/18

『緋色の迷宮』

トマス・クック著、村松潔訳、文春文庫。覇気のない思春期の息子を持て余す「わたし」。ふとした疑念が果てしなく大きくなって行き着いた結末。有無を言わさず読者を巻き込む緻密な筆力に脱帽。そして、毎度おなじみの重たい読後感。ぐったり。。

Add a comment 2010/03/18

2nd Feb, NC

今日はこの旅、最大の懸案事項、”英語でプレゼン”の日。

予報通りの悪天候に加えて時差ボケがひどいのと、プレゼンの練習もしたかったのとで、朝イチの講義見学(Behavioral Intervention with Children)はパス。

このプレゼンは、UNCを訪問することが決まったときに、F先生から提案されたこと。こちらからお邪魔して、なにかとお手間をとらせるわけだから、お断りするわけにはいかないし、こんなチャンスも滅多にないだろうということでお引き受けしたのだけど、準備がタイヘンだった~(これについては、また別の機会に書きたい)。

アメリカに留学中・留学経験のある友人たちに片っ端から聞いたところ、わたしが話すのは「ランチョンセミナー」と呼ばれるもので、昼ごはんを食べながら聴く、わりとお気軽なかんじのレクチャーじゃないかと思う、という意見が大半を占めていた。が、しかし事前に送られて来た案内チラシは、「いったいどこぞの著名専門家が来るのか?!」的なフォーマル感漂いまくりな内容で、とにかく自分でできる限りの正式なかたちで準備をしていくことに。

前日に学内を案内されたときに、建物内の掲示板にプレゼンの案内(わたしの写真入り!)が貼ってあるのを見て、うれしいやら余計に緊張するやら、やっぱりちゃんと準備して来てよかった!と思ったり。それでもF先生が「たぶん、5〜6人しか来ないよ」と言っていたので、「ゼミ発表みたいなもんか~」とちょっと安心してもいたのだが…。

スタート時間の12:00少し前(つまり時間の許す限り)までプレゼンの練習をしてから、会場の小会議室でF先生と合流。前日に動きのおかしかったPPTが、なせだかちゃんと動いてくれて、よかったよかったと言っているうちに、セミナー室にわらわらと人が入って来て、あっという間に10人以上に。その後も、ぱらぱらと参加者が増えてざっと見ただけで15人はいる。「ええ~、聞いてないよ~」と変な汗がじっとり。

時間が来たので、F先生がその旨を告げて、わたしの紹介などをしてくださった(このときに、Candidate for Ph.Dというのを聞いて、doctoral studentとの違いがよく分かった)。このときに、先生が「5000人とか来ちゃったら困ると思って言ってなかったけど、ピザを用意してるから、みんな遠慮せずに食べてね」なんてカワイイ冗談を言うもんだから(F先生は60歳代前半の男性)、思わず笑ってしまって、そのおかげで少し緊張がほぐれ、腹も決まった「やるっきゃない!」と。

日本語でもそうだけど、緊張すると、声が震え、口が乾いて発語が困難になるのがわたしの悩み。おまけに時間が経過すると、声が割れて聴き取りにくくなる。話し始めてすぐにそうなったのを自覚しつつ、「大丈夫、落ち着け」と自分に言い聞かせながら自己紹介して、本題へ。

「トークの始めに笑いをとること」などというあり得ないくらいに高いハードルは無視して、「とにかく、堂々としてればいいんだ!」と思いながら話をすすめると、みなさんが関心を持ってくれているのが伝わってくる。それに力づけられるように、流れに乗れているのが自分でもわかった。

で、プレゼンのパフォーマンスは120%の出来!だったと自己評価。これは、なにかと完璧を求めたがるわたしにはきわめて珍しいこと。さらに、質問が多かったことが、成功の感を得た大きな要素。日本の学会でもそうだけど、何の質問も出なくてシーン…となったり、「んじゃ、時間余ってるんで、補足説明して」とアドリブで話をふられるのが、発表者として最も恐ろしい事態。当然、今回もそれは避けたく、日本のボスたちからのアドバイスにしたがって、内容のあちこちに”質問のための誘い水”を仕込んでおいたので、いくつかの質問は予想していた内容だったし、半泣きになりながら用意しておいた補足資料を使うこともできて満足。

だだし。質問への回答については、問題ありまくり。まずは、何を尋ねられるのか分からない状態で英語を聴き取らなくてはならない。母語であろうとそれは同じことなんだけど、これが予想以上にエネルギーを使う。「すみません、もう少しゆっくり話してください」とお願いして質問の内容が分かったとしても、その次には英語で回答しなければならないというハードルが。ここでのわたしの英語が酷くて酷くて…必死で話すのだけど、しゃべるそばから「なんでそこで過去形なんだっ」とか「述語が主語を受けてないっ」と自分でもわかるミスの連続。ていうか、もう、文章になっているのかさえ怪しいかんじで、みなさんが「えーと、つまりはこういうことですね」と要約してくださることに、「はいっ、はいっ、そうですっ(それそれ、わたしが言いたかったのは~)」と答えて閉める、のくり返し。

そんなわけで、グダグダ英語による惨憺たる質疑応答になってしまった。一問回答し終するだけでぐったりなんだけど、間髪入れず次の質問が来る。さらにレクチャーする側のマナーとして「何でも聞いてくださいね」という姿勢は保ち続けなければならないので、まさに全身全霊のガチンコ勝負。

それでも(=わたしの英語のひどさに懲りずに)どんどん質問が来て、いったん終了となった後にも個別に質問しに来てくれる人がけっこういて、ほんとがんばってよかったなーと思った。完璧主義で自分を追い詰めがちなわたしにとって、かつてないほどの満足感を得たと言ってもいいくらい。もちろん、これは、訪問先の方々がわたしの立場を好意的に理解してくださったことによるところが大きいわけだけど、アメリカの「頑張りには正当に評価し、応える」という文化に触れたような気がしている(ちょっと呑気にとらえすぎ?)。

それと、どう聞いても酷い英語にもかかわらず、「言葉がよくわかんないようだから、手を抜いてやる」ということはせず、分からないことは自分が納得できるまで聞いたり話したりし続ける、という聴き手の態度に関心した。これは、相手を変に気の毒に思って議論を諦めてしまいがちな日本(人)が見習うべきことだなーと思う。気の毒に思うというか、情けをかけるというのは、自分が上位にあるという意識の現れ(たとえそれが”無意識”だとしても)。言い換えれば、相手を見下していることになる。もちろん、時と場合によっては、日本人的”気遣い”が求められるし、そちらのほうがいいケースもある。けれど、「あー、んー、よく分かんないけど、まあ、分かったことにしとくよ」っていうのは、相手の尊厳をひどく傷つけてしまうこともある諸刃の刃。今回のことで、自分のこれまでのふるまいを反省せずにはいられなかった(たとえば、留学生や後輩に対して)。いつも100%全力であたるというのは、息苦しいし、ゆとりがなくて見苦しいけど(日本人に多い)、ここというときに、喧嘩ではなく、ガチで相手にぶつかることが、相手を本当の意味で敬意したり尊重していることになるんだということを実感した次第。

午後はInterpersonal Psychotherapyという講義を見学。

授業に対する学生の積極性に関心する。ここでは、ほとんどの授業が2時間以上(90×2コマに少し足りないくらい。途中でブレイクあり)。この日はプレゼンの疲れと時差から来る眠気に耐えられず、前半のみ見学して失礼した。

時差ボケは、夕方4〜6時にかけてがいちばん辛く、眠くて気を失いそうになることしばし。もともと睡眠に少し問題があるのも一因かと思う。結局、適応できないまま、帰国することになってしまったのだけど(といっても、完全に日本時間のままのはずはなく、帰国してからがまた大変だった…)。

2nd Feb, NC はコメントを受け付けていません。 2010/03/03

『日本辺境論』

内田樹、新潮新書、2009年。
学びの姿勢、機の思想など、「ふーむ、なるほど、そのように考えると説明がつくなあ」と思うところが少なくなかったのだけど、本全体をどう評していいのかはよく分からない。だって、論拠としている引用文献の前後を知らないから、”正しい引かれ方”をされているか判断できないんだもの。とほほ。武道やりたいな、とか。なんかそんなことくらい(武道をやると何かいいことがあるようだからくらいの理由しかなくて、そーいうのは内田先生的には間違っているのかも)。
このご本で、新書大賞(かなんか、そんなようなもの)を受賞されたそう。直接講義を受けたことはないけど、在学中に学内を袴姿ですたすた歩いていらっしゃったことを思い出す。おめでとうございます。

Add a comment 2010/03/02

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